今日のパリ8月24日
世界で最も影響力のある人物(40歳以下)で見事1位になった
フランス大統領エマニュエル・マクロン氏
5月にフランス新大統領として誕生してから、早3か月が経ちました。
その間に何度も話題に上がったブリジット夫人。
この日もお気に入りのブルージーンズにブルーのパンプススタイルです。
これまでマクロン大統領と伴に国民の前に出て来たり、
リアーナを出迎えたりしておりましたが、
メディアの前で自分のことを語ることはこれまでありませんでした。
日本でも話題になる程、知名度のあるブリジット夫人。
もちろんフランス国内でも話題の人です。
しかし、これまでメディアの前で自分のことを語ることはありませんでしたが、
この度、ELLE 8月18日号で
幼少期、恋愛、エリゼ宮での生活など
自分自身についての初のインタビューに応じました。
5ページに渡るロングインタビューです。
【抜粋】
Q;あなたはファーストレディーとして生まれた訳ではないけど、
3か月経ってあなたはファーストレディーになりましたか?
A;「ファーストレディー」はアメリカ的表現よね、
私はこう呼ばれて嬉しくないわ、
私はファーストレディーでも、誰かの後ろにいるレディーでもないわ。
私はブリジット・マクロンよ。
メラニア夫人に会った時も、私は彼女を名前で呼んだわ。
⇒アメリカのように、ファーストレディーの地位のないフランスで、
先日ブリジット夫人にも「ファーストレディー」の地位を与えようという
動きがありましたが、
“大統領夫人だからと言って、自動的に公費を使うのは疑問”等の
反対意見が最終的に28万にも及び「ファーストレディー」の地位は
成立しませんでした。
しかし、8月21日大統領府はブリジット夫人の公職を付与する文書を発表しました。
《Charte de transparence》
マクロン大統領は、保健や文化、教育、子どもの保護、ジェンダー平等などの分野で
ブリジット夫人に公的な責務を与える。
そして、首席補佐官とスケジュール管理担当官、
メールに応える補佐スタッフがつけられる。
~日本経済新聞~
「ファーストレディー」への動きが錯綜してるようですが、
エリゼ宮大統領府は「ファーストレディー」の位置を
確立させる方向に進んでいるようですね。
さて、その他にもELLEのインタビューでブリジット夫人は
エマニュエル・マクロン大統領との恋愛についても赤裸々に語っています。
Q;あなたはいつマクロンとの関係が(恋愛に)変わったと実感しましたか?
A;Eduardo De Filippoの《L'Art de la comedie》を一緒に作り上げていたときだと思うわ。
私たちは二人で金曜の夜に台本を書いていたの。
土曜日からね、、、、私は金曜日を待っていたのよ。
どうしてかわからなかったわ、、、ほんとに普通じゃないと思ったわ
Q;あなたはその気持ちに耐えようとしましたか?
A;ええ、
私がマクロンにパリに行くように言ったのよ。
それが彼にとって良いと思ったから。
このとき、私たちには何もなかったわ。
でも、陰口はすぐに広まったわ。自分の3人の子供のことがとても気がかりだった。
Q;あたなは大統領選挙中の年齢差についての中傷の中で生きていましたが。
A;気分が悪かったわ。でも自分に黙っていなさいと言い聞かせていたわ。
それから過ぎ去っていった。
Q:あなたにとってマクロン氏との関係が正式になるまでの期間で、
最も辛かったことは何ですか?
A;2007年までずっと私達は離れ離れだったの。
でもこの期間私たちは相当数の手紙を変わしあったわ。
さすがアムールの国ですね。
現大統領夫人が自分と大統領との恋愛についてこんなにも公にすることがあるんですね!
分量が分量なので読むのに大変ですが、内容はとても面白かったです。
価格も2.2€ですので是非!
~ELLE 8月18日号 N3739~
Je t'aime ♥(笑)また明日!
世界で最も影響力のある人物(40歳以下)で見事1位になった
フランス大統領エマニュエル・マクロン氏
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5月にフランス新大統領として誕生してから、早3か月が経ちました。
その間に何度も話題に上がったブリジット夫人。
この日もお気に入りのブルージーンズにブルーのパンプススタイルです。
これまでマクロン大統領と伴に国民の前に出て来たり、
リアーナを出迎えたりしておりましたが、
メディアの前で自分のことを語ることはこれまでありませんでした。
日本でも話題になる程、知名度のあるブリジット夫人。
もちろんフランス国内でも話題の人です。
しかし、これまでメディアの前で自分のことを語ることはありませんでしたが、
この度、ELLE 8月18日号で
幼少期、恋愛、エリゼ宮での生活など
自分自身についての初のインタビューに応じました。
5ページに渡るロングインタビューです。
【抜粋】
Q;あなたはファーストレディーとして生まれた訳ではないけど、
3か月経ってあなたはファーストレディーになりましたか?
A;「ファーストレディー」はアメリカ的表現よね、
私はこう呼ばれて嬉しくないわ、
私はファーストレディーでも、誰かの後ろにいるレディーでもないわ。
私はブリジット・マクロンよ。
メラニア夫人に会った時も、私は彼女を名前で呼んだわ。
⇒アメリカのように、ファーストレディーの地位のないフランスで、
先日ブリジット夫人にも「ファーストレディー」の地位を与えようという
動きがありましたが、
“大統領夫人だからと言って、自動的に公費を使うのは疑問”等の
反対意見が最終的に28万にも及び「ファーストレディー」の地位は
成立しませんでした。
しかし、8月21日大統領府はブリジット夫人の公職を付与する文書を発表しました。
《Charte de transparence》
マクロン大統領は、保健や文化、教育、子どもの保護、ジェンダー平等などの分野で
ブリジット夫人に公的な責務を与える。
そして、首席補佐官とスケジュール管理担当官、
メールに応える補佐スタッフがつけられる。
~日本経済新聞~
「ファーストレディー」への動きが錯綜してるようですが、
エリゼ宮大統領府は「ファーストレディー」の位置を
確立させる方向に進んでいるようですね。
さて、その他にもELLEのインタビューでブリジット夫人は
エマニュエル・マクロン大統領との恋愛についても赤裸々に語っています。
Q;あなたはいつマクロンとの関係が(恋愛に)変わったと実感しましたか?
A;Eduardo De Filippoの《L'Art de la comedie》を一緒に作り上げていたときだと思うわ。
私たちは二人で金曜の夜に台本を書いていたの。
土曜日からね、、、、私は金曜日を待っていたのよ。
どうしてかわからなかったわ、、、ほんとに普通じゃないと思ったわ
Q;あなたはその気持ちに耐えようとしましたか?
A;ええ、
私がマクロンにパリに行くように言ったのよ。
それが彼にとって良いと思ったから。
このとき、私たちには何もなかったわ。
でも、陰口はすぐに広まったわ。自分の3人の子供のことがとても気がかりだった。
Q;あたなは大統領選挙中の年齢差についての中傷の中で生きていましたが。
A;気分が悪かったわ。でも自分に黙っていなさいと言い聞かせていたわ。
それから過ぎ去っていった。
Q:あなたにとってマクロン氏との関係が正式になるまでの期間で、
最も辛かったことは何ですか?
A;2007年までずっと私達は離れ離れだったの。
でもこの期間私たちは相当数の手紙を変わしあったわ。
さすがアムールの国ですね。
現大統領夫人が自分と大統領との恋愛についてこんなにも公にすることがあるんですね!
分量が分量なので読むのに大変ですが、内容はとても面白かったです。
価格も2.2€ですので是非!
~ELLE 8月18日号 N3739~
Je t'aime ♥(笑)また明日!
À demain
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